主宰インタビュー

【44】ひいらぎ主宰三十周年を迎えて

Q:ひいらぎの主宰になられまして三十周年、まことにおめでとうございます。三十年を振り返られてのご感慨、今後のご抱負をお聞かせください。

A:三十周年は私が主宰となっての年月であり、このたびは昭和三十年に神戸新人句会を発足してからの総決算と考えます。兵庫県芸術文化協会の理事長、専務理事が出席して下さるには意味があります。芭蕉に「造化にしたがひ、造化にかへれ」と云う言葉がありますが、神に随順して立派な作品を目標にしたいものです。品格のある俳句を作りたいものです。八十歳を越えてはじめて自分の句が作れるのです。

平成20年9月


【43】「実感の的」の手ごたえ

Q:実感で作ったと思う句でも、後から振り返ると感動の 表されていない説明の句になっていることがありま す。最近時々、自身のいわば「実感の的」の手ごたえ を忘れそうになることもあります。そのような時、ど んなことを心がければよいでしょうか。

A:やはり基本は「発見や驚きなど、実感を具体的に、わ かりやすく表現すること」です。そのためには、本当 によく見ること、深く見ることが欠かせません。そう すれば感動は対象からあなたの中に飛び込んできま す。二、三十分はしっかり物を見ること、この基本姿 勢を貫くうちに、自分の「的」は自ずと見えてきま す。そうするとより「的」に当たるようになります。 以上は私自身の歩みを振り返ってもわかることです。 俳句を作る者は、進む度に壁に当たるものです。あせ ってはなりません。基本姿勢を崩さず実作を続け、一 歩ずつ進んでいってください。」

平成20年4月


【42】「具体的な表現」法

Q:俳句を作る上で先生はよく、「物を見て実感を具体的 に表現すること」と教えられます。以前も「具体的な 表現」についてうかがったことがありますが、多作と 同時に「具体的な表現」法を身につけるためにはどの ような勉強が必要でしょうか。

A:先達に学ぶ事は大切です。高浜虚子・阿波野青畝先生 の句集、ホトトギス四季選集を熟読することです。虚 子先生が「写生」を唱えられたとするなら、青畝先生 は「実感」を唱えられました。また近年、具体的な表 現を実践し、かつ指導できる人が少なくなってきてい ます。本で学ぶだけでなく、やはり自分の実作に対し て指導してもらうことが不可欠と言えましょう。

平成20年1月


【41】句集の選句について

Q:短歌会では多くの場合、匿名の歌稿が参加者に回された後、作者名が発表される前 に参加者により各歌に対する批評がなされます。特に初学の頃は批評力と作歌力は比 例すると言われ、批評力を磨くことにも重きがおかれます。同時に一首が多角的で建 設的な批評に曝されることにより、表現の盲点があらわになることもあれば、意識し ていなかった作品のポテンシャルが引き出されることもあります。このような形式の 歌会では、参加者の批評力の向上が歌会のレベルを引き上げ、それが参加者各自の作 歌に対するモチベーションを高め、実作者の自選力、作歌力の向上につながるという ことにもなります。
一方俳句会では、参加者が多いこと、出句数が多いことより、少数による句会でない 限り参加者による批評は一般的には行われません。披講後、特選句等に対し主宰の評 があるほかは、主宰を交えての参加者間での活発な意見の交換や質問はあまり見るこ とがありません。
出句後、批評や質問を通じて出席者が意見を出し合うことに関して、紫峡先生はどう お考えですか。ご教示ください。

A:句会に於いて句をとりあげての批評をすることは結構です。
参加者が十人以上になると時間がかかりますので実際には難しいと思います。
主宰者に対して各人が自由な質問をされることを大いに期待しております。
「ひいらぎ」の句会では必ず質問して下さるように皆様にお願いしております。
俳句会では主宰の選句のみで充分との雰囲気がありますので、参加者が遠慮している のかもしれません。 質問するものも勉強する必要がありますので質問は大いに結構と考えます。

平成19年8月


【40】句集の選句について

Q:青畝先生の選をお受けにならなくなってから、句集を編集する時に膨大な御自作の 中からどのような点に気を付けて御自分の句を選句されていましたか。

A:第一句集『風の翼』は360句入れておりますが、青畝選800句の中から選びました。
作家は晩年の句をもって作品を個性的たらしめるように、との先生の言葉を受け、 800句の残りの句は全部捨てました。
第二句集は『風の翼』を出版した昭和52年以後の句の中から自選して、平成6年に出 版しました。先生の選句は受けておりません。先生の選句を受けることに抵抗があり ました。
私は今からの14年位の人生に於いて自分の俳句を作ります。
神様が私の作句力を育てて下さるものと信じております。
虚子、青畝先生は晩年に於いて信仰によってご自分の作品を作られました。
信仰があれば何事も自由に実現しますから。

平成18年11月


【39】連作について

Q:俳句作家には、総合誌で『50句競詠』『20句』などと連作を一堂に発表する機会が 多々あります。新人賞でも30句や50句を提出することがほとんどです。先生は連作を 作る必要が生じた時、何か特別に意識されておられることがありますか。月々の『ひ いらぎ』誌の連作、俳句総合誌の連作をお作りになる時のポイントや、初学者へのア ドバイスがあればご教授願います。

A:連作を作ったことはありません。吟行をしても考えて作ることはしません。 例えば瀧の季語で作るとすれば、布引の瀧、箕面の瀧その他の瀧を見て作ります。一 句ずつ独立した句を30句並べます。 所謂連作の句は一句としての独立性が乏しいです。連句と俳句は違いますから。

平成18年7月


【38】ひいらぎの若手・新人に期待すること

Q:『ひいらぎ』も昨年より誌面を一新し、新しい人の活躍の機会が増えたように思い ます。今ひいらぎの『若手』『新人』と目される人々に対しての期待、アドバイスな どございますでしょうか。

A:若手、新人には、物を見て実感を深める努力をすることと、人格を陶冶して霊性を 高め品格のある俳句を作ることを目的としてほしいです。

平成18年4月


【37】若手俳人の俳句について

Q:昨年『俳句朝日』八・九月号で「若手俳人六百人参上」という企画が行われまし た。10代から30代の俳句を作る人が各3句を載せるというものでした。ご覧に なってどのようなご感想を持たれましたか。」

A:『俳句朝日』八・九月号掲載の「若手俳人六百人参上」の作品を見て、作句の基礎 の勉強不足とカルチャー化した遊びの俳句が多いように感じました。もっと基礎を勉 強する必要があります。

平成18年1月


【36】第一句集について

Q:第一句集についておうかがいします。先生は作句を開始されてから長年を経て第一 句集を上梓されましたが、第一句集を出される時期をどのようにしてお決めになりま したか。また、虚子先生選の句はお入れにならなかったとうかがったことがあります が、第一句集に入れられた句はどのような基準でお選びになりましたか。

A:阿波野青畝先生が雑談の中で、俳人は人格を陶冶した晩年の作品がその人の作品で あると申されたことがありました。私が四十才の頃でした。
幼い時より牧師の父から、神様の住んでおられる自分の身体を大切にするようにと厳 しく教えられました。酒、煙草、肉類を嗜まず野菜を中心とした食事にしておりま す。自動車の運転免許を取ることもなく、今日まで歩いて健康を維持しております。

第一句集『風の翼』は昭和五十二年(五十才の時)出版しました。牧羊社が現代俳句 選集全二十一巻を出版するにあたり、「かつらぎ」の代表として参加しました。鷹羽 狩行、上田五千石、清崎敏郎、広瀬直人、後藤比奈夫氏ほか有名俳人の作品が集めら れました。
句集『風の翼』には青畝先生に選していただいた八百五十句の中から、物の変化に目 を止めた三百六十句を選びました。残りの句は後日出版するつもりでした。虚子選に 入った句は残りの句の中に入っております。
自宅を建て替えた時、選していただいた句稿を紛失してしまいました。再び「ホトト ギス」や「かつらぎ」の入選句を整理する暇がないのでそのままにしております。
虚子先生の申されていた品格のある作品を目標に精進したく考えております。

平成17年10月


【35】類句類想句について

Q:「奴凧火防守りとして売られ 彰宏」の句が数年前の東京句会で先生の特選句に なり、かつ先日の東京句会で「奴凧火防の守りとて飾る 好子」の句が先生の特選句 になったことに対して、HPの掲示板上で類想句ではないかと指摘があり、類句類想句 をめぐって様々なやり取りがありました。これに関して、選者として先生のご意見を 頂きたく存じます。

A:「奴凧火防守りとして売られ 彰宏」の句は私の記憶にありませんでした。もし彰 宏さんの句を知っていたら添削をせずに捨てております。特選に選んだのは、表現に ついての説明を例としたからです。この二句は類句ではなく類想句となります。 奴凧、火防守りと素材が同じで作者の実感が乏しいので類想句になりやすいのです。 恐らく彰宏さんの句も過去において似た句を作った人があると思われます。 人事句の80%は類想句といわれる所以かも知れません。スケッチの写生ではなく、物 を凝視して実感を詠む練習をしてほしいですね。

平成17年2月


【34】影響を受けた俳人

Q:「虚子青畝これ一筋に時雨愛づ」の御句がありますが、紫峡先生は虚子青畝両先生以 外の俳人から俳句において、良い意味でも反面教師的な意味でも、何らかの影響を受 けられることはありましたか。

A:山口県宇部市の一中学生の私が、高浜虚子先生に俳句を教えて下さいと手紙を送った ところ、先生から俳句を勉強するようにと宇部在住の先生を紹介する葉書を頂きまし た。
 その先生から高野素十先生の純客観写生を勉強するようにとすすめられ、素十作品 を「ホトトギス」から抜粋してノートに記入して暗記しました。十七・八歳の私に は、客観写生の長所が理解できず、水原秋桜子、山口誓子作品に心が引かれました。

 素十、青畝、秋桜子、誓子作品に共感できたのは、いずれも実感が具体的に表現さ れていたからです。

平成16年12月


【33】具体的な表現について

Q:作句時の「具体的な表現」についてご質問いたします。
感じたことを具体的に表現しようと言葉を費やせば、後から振り返り、「沢山言いす ぎ」の報告の句となっていることが多々あります。報告とならず実感を具体的に詠む 上で特に心掛けることがありましたらお教えください。

A: とにかく沢山作ることです。 物を見て作ると実感か報告かいづれかになります。
実感の手ごたえを掴めていないと、自分で作った句が実感を表現しえているか、報告 に終わっているのかわからないことになります。
とにかく沢山作ることにより実感の手ごたえがでてきます。
また表現に際してですが、すっきりと分かりやすい表現が大切です。
これは自分が苦しんで会得するものです。
貴方まかせはいけません。
物を見て実感を詠むことが上達の近道です。

平成16年12月


【32】第二芸術論について

Q:戦後、桑原武夫の俳句第二芸術論は俳人に大きな影響を及ぼしたと言います。 高浜虚子は大きな反応を示さなかったと言いますが、先生は当時第二芸術論に対して どう思われ、その後どのような姿勢で俳句を続けてこられましたか。

A:桑原武夫氏の「第二芸術論」を昭和二十一年十一月号の「世界」で見たとき、まだ学 生でしたので反発もしました。俳句は芸術でなく芸ですから、桑原氏の意見でよろし いと思います。
人生を陶冶した晩年の作品が大切かと思い、私は句集の出版を遅くし、特に初期の作 品の大半は捨てました。(虚子選の作品は句集にありません)
昨年出版した句集「石の枕」には阿波野青畝先生の影響はありません。
これからが私の作品です。
神様の助けによっての作品を目標としております。

平成16年10月


【31】戦争と俳句

Q:戦争は個々の俳人の俳句に、直接的であれ間接的であれ、何らかの影を投げかけてい るようです。 先生は第二次世界大戦中、どのような俳句を作っておられましたか。

A:戦争の始まった昭和16年12月8日はすでに俳句を作っており、各新聞に虚子先生をは じめ、先生方の俳句が発表されたことを思い出します。
俳句を作ることによって戦争時代の思い出が多いとも云えます。
戦災で隣から火が燃え移ってきて私の部屋の窓にかけた簾が激しく動いたのを遠くか ら見た印象は忘れられません。

火は風を呼びしか簾打ち煽つ 紫峡

焼夷弾が降ってくる空を見上げて逃げながら、二度とない経験を句に作りたいと思 い、父に叱られたことを思い出します。 学徒動員に奉仕して、俳句を楽しく作り日を過ごしました。 B29が秋空に飛行雲を引いて去る姿は美しいと思いました。
終戦の日の暑かったこと、各新聞に虚子先生をはじめ大家の方々の俳句が掲載された のが印象に残ります。 学徒動員から復学して文化活動を始めました。

平成16年9月


【30】初心者の作句態度 孫や子を詠む

Q.孫を詠むのは難しいといいます。孫や我子を詠む時の注意点をお教え下さい。

A.お尋ねの「孫」を詠む俳句は詠みにくいと言われますが、 「子」に比べて距離があります。 私も「子」の句は詠みましたが「孫」の句はありません。興味の対象になりにくいのかもしれ ません。同居すれば興味が湧くのかもしれません。
ここニ十年来飼っている「猫」が家と庭を自由に出入りしています。「猫」「子猫」を詠んだ句はありません。これも作句の対象にはな りません。俳句は興味の対象を詠むものであり、人それぞれ興味の対象が違います。何事も始 めから決めてかからないことですね。

平成15年5月


【29】初心者の作句態度 凝視する態度

Q:日中戸外に出る機会が減ってきました。大景よりも室内のもの、小さなものを自 分の句の対象にとることが多くなってきました。生活環境の変化が新しい作句態度を 生むこともあると思います。しかし作句態度の変換に際し、古人の句に範をとってい ると、自分の実感を詠んでいるつもりでも、類句しか作れていない、と気づくことも あります。このような時、どういったことに気をつければ良いでしょうか。

A:少し長くなりますが、まず作句の基本的な態度として、「凝視する態度」について 説明します。
 初心の頃の私は、昭和十七年から昭和二十五年まで、高野素十作品に傾倒しまし た。素十句集が出版されていなかったので、ホトトギス雑詠全集をひもといて、素十 作品を抜粋し、ノートに書き写しました。英語の単語を記憶するように、そのノート をいつも持っていました。
 素十作品には、凝視して変化を発見する時間がかかっております。これは作句の基 本的な態度です。器用に頭の中で考え、取り合わせて作るのではありません。作者の 実感が表れております。
 凝視する態度によって大景も描くことができます。主観の強い人には物を見つめる 忍耐は難しいかもしれません。客観写生の素十作品を勉強したことで、青畝先生の作 品をよく理解できると言っても過言ではありません。
 類句のできることを恐れるよりも、自分の句を作るように作句態度を工夫すべきで す。作句態度も作者の志す方向に従って変化してゆきます。自由に感じ、自由に表現 して下さい。そしてそのように自由にできる時代を大切にして下さい。

平成15年3月


【28】正月インタビュー

Q.あけましておめでとうございます。
昨年はこのインタビューも含め、様々なご指 導を賜り、まことにありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
平成十四年は、先生ご自身や、『ひいらぎ』にとって、どのような一年でしたでしょ うか。

A.平成十四年は、俳壇から『ひいらぎ』という結社に、協力を求められた一年でした。
大阪俳人クラブ、兵庫県俳句協会、俳人協会関西支部の大会や行事に参加を求められ、 積極的に協力いたしました。
『ひいらぎ』は男性の誌友が多いので、人材が豊富で活動 的である、と他の結社の主宰に言われます。
十年前からの人材育成の結果が、漸く現れ つつあります。

Q. 今年は、先生ご自身の俳句や、『ひいらぎ』がどのように進んでいかれることをお望みですか。

A.平成十四年は、俳壇から『ひいらぎ』という結社に、協力を求められた一年でした。
大阪俳人クラブ、兵庫県俳句協会、俳人協会関西支部の大会や行事に参加を求められ、 積極的に協力いたしました。
『ひいらぎ』は男性の誌友が多いので、人材が豊富で活動的である、と他の結社の主宰に言われます。
十年前からの人材育成の結果が、漸く現れ つつあります。

平成15年1月


【27】主宰と俳句 新しい境地とは

Q.先生は虚子の提唱した作句態度に基づいた上で、どのようにして新しい境地に至りたいとお考えですか。

A.「深は新なり」「古壺新酒」とは、各人の持つ感覚を深く掘り下げて新しさを求めることです。
品格のある俳句は表現技術の習練から生まれます。生涯この道を歩んでこそ初めて得られる境地です。
新しさは求めて簡単に得られるものでなく、永年の修練によって到達出来るものです。
深は新なりを求める、つまり新しい境地に至る作句態度とは、物を眺めて実感を詠むことだと考えております。

平成14年11月


【26】伝統俳句の今後

Q.虚子の唱えた伝統俳句は、今後どのようにして新しい方向性を見い出していくでしょうか。

A.虚子先生の理論の伝統俳句は芭蕉以来の俳句です。
 古俳諧を勉強して新しい境地を求めるのはよろしいが、
 持論を基礎として新しい俳句を求めても、早晩行き詰まります。
 客観写生、花鳥諷詠は俳句の本質と考えるべきです。

平成14年10月


【25】主宰と俳句 

Q.先生は虚子青畝両先生と接しておられて、どういうところを偉大だと感じられましたか。

A.虚子青畝先生に接して偉大であると感じた記憶はありません。 私が作句意欲を燃やしているときに必ず答えて指導して下さったことはやはり偉大というべきでしょうか。

平成14年9月


【24】主宰と俳句 注目の俳人

Q.先生が今、注目されている俳人はどなたですか。

A.俳壇で注目している俳人では鷹羽狩行氏があります。 私は虚子先生から、品格のある俳句が大切であると教えられました。 平明であり具象化することも心掛けなければなりません。 この条件に適当であるのは狩行氏の作品であり、共感できるのです。

平成14年8月


【23】主宰と俳句 俳号について

Q. 紫峽先生はいつ俳号をおつけになられましたか。またその由来もお教えください。

A. 昭和十七年の春、「紫峽」の俳号をつけました。たまたま貰った二十本ばかりの活字を何気なく 二本づつ並べて、紫峽の文字に気に入ったことを記憶しております。 昭和十七年七月に創刊した小冊子に「柊」に、小路紫峽の名前で二句掲載されております。 今でいう高校一年生でした。

平成14年7月


【22】初心者の作句態度

Q.他の結社の人々と混じって俳句を勉強できるようになるには、どの程度の作句レベルに達している必要がありますか。

A.指導方針の異なる結社に属せば、先生を複数持つことになります。指導方針も選句方針も違い ますので、初心者には迷いが生じます。
 自分の個性が導かれることを求めての勉強でしたら、一人の師に学ぶことです。私は最初から 虚子選を信じて作句しました。虚子と選の合わないホトトギス同人の先生の結社に属していた のですが、不満でした。
 青畝先生と出会ってからは、先生の指導方針と選句が虚子と一致するので、関係していた結 社と全て縁を切りました。青畝先生のみの指導を信じて今日に至っております。青畝先生が御長 命でありましたことも、私には幸いでした。
他の結社の人々に混じって勉強するには、自分の作句態度の確立が必要です。人それぞれ成長 が違いますから、年数で言うのは難しいです。

平成14年6月


【21】主宰と俳句 青畝先生の助言

Q.先生は長い俳歴の中で、どのような時に句作の御上達を実感されましたか。

A.俳句の作り方を具体的に教えられたのは、昭和二十九年、阿波野青畝先生を御案内 して、山口県八代の鶴を見学に出掛けた時です。
七時間かかる車中に、作句方法につ いて未知の世界を教えられ、目の開かれる思いでした。
 その後、青畝選に入った私の作品を、高浜虚子先生に送ると、○、◎がついて返却 されるようになりました。「玉藻」の虚子句評に取り上げられて短評されると、少し は上達したのかな、と思ったこともありました。
 今一つは、昭和四十年頃、青畝先生に「細かいことに目を止めて詠むのではなく、 もっと大きなことを詠みなさい」と助言していただきました。
瞬間の変化を詠んでい た私は、この御助言をきっかけに、自分本来の情を詠めるようになりました。

平成14年5月


【20】主宰と俳句 初学のころ

Q. 先生は初学の頃、俳句冊子をお作りになったことがありますか。

A.昭和二十一年のはじめに、素十先生の有名な一句

       眞青な葉も二三枚帰り花  素十

を題名に、プリントの俳句冊子を発行しました。
高浜虚子先生に題字をお願い申し上げましたら、「かへり花」を崩して書いていただ いたことを記憶しております。
終戦後でしたので、先生も若い者の無理を聞いてくださったのです。
雑詠の選句は、水田のぶほ先生にしていただきました。
 二十一年九月頃、素十先生から頂いた葉書の端に

、        秋立つと堰の事務所の黒板に

と句が書いてありました。この句は素十句集の中にありませんので、多分先生が思い つかれて、挨拶のつもりで書いてくださったのでしょう。
 発刊から2年ほど経って、私は卒業して神戸に移りましたので、廃刊してしまいま した。

平成14年4月


【19】主宰と俳句 素十作品との出会い

Q.初学の頃、先生が素十作品を学ばれることになった経緯や、それにまつわる思 い出などをお教え下さい。

A.以前申し上げたことと重複する部分があるかもしれませんが、俳句に関わり始め た頃までさかのぼってお話いたします。
中学三年生の私は、店頭にて「ホトトギス」を知り、高浜虚子先生が日本で一番偉い 俳人であることを書店の主人に教えられました。虚子先生に、俳句を教えてくださ い、と巻紙に墨書してお願いしましたところ、先生から次のような葉書の返事が届き ました。「宇部市島に水田のぶほという人がおります。その人に俳句を学びなさ い。」虚子先生は、私の手紙を添えて、水田先生に、俳句を教えてやって下さい、と 連絡して下さいました。
水田のぶほ先生は、私に高野素十の作品を勉強するように勧めて下さいました。素十 句集は出版されていませんでしたので、のぶほ先生の所蔵されていた「ホトトギス」 全集から、素十作品をノートに書き写して暗記しました。英単語と同じように、通学 の途中に暗記したのです。
新潟医科大学の教授であった素十先生に作品を見て頂いたこともあります。素十先生 にお願いして、小さな写真を頂き、机の上に飾っていたことも、初学時代の思い出の 一つです。

平成14年3月


 【18】初心者の作句態度 吟行場所について

Q.初めての地や名所旧蹟などへ吟行に出掛けると、心が昂ぶり、大きな感動が湧き 起こってくることをよく経験します。 それに対し、日頃から足を運ぶ場所では、新鮮味に欠けるためか、斬新な着想や類想 に陥らない実感を得ることが難しいように感じます。 近所に、気に入った場所をいくつか持っておくことも大切かと思いますが、先生はご 自宅の近くの、どのような所に吟行に出掛けられることが多いですか。

A. 吟行は、できるだけ知っている所に、四季を繰り返して出掛けます。 神戸の布引の滝、六甲山、あるいは須磨の花、牡丹などは、これまで繰り返し句に し、馴染みが深いだけに、ゆっくりと落ち着いて情景を見ることができます。 吟行する場所は、どこでもよろしいです。 大切なのは、詠む者の心、感覚が平安であること、要するに作句態度です。 じっくりと物を見て、実感で把握するのです。 珍しいものに驚いて、上滑りしてはいけません。

平成14年2月


【17】主宰と俳句 俳句と仕事

Q.先生は会社に勤務されていた時、どのような工夫をして俳句の時間を作っておら れましたか。

A.私は昭和二十二年四月に社会に出て、平成十二年七月まで同じ会社に勤務しました。 同族会社でしたので、割合に、時間が自由になりました。 俳句を作りつづけるために同族会社に勤務したのか、とも思います。 昭和三十年から、毎週月曜日の夜、勤務先に有志が集まって研究会を開きました。こ の研究会は昭和五十五まで続けられ、ここから「かつらぎ」の推薦作家が多数育成さ れました。 日曜日には勿論のように吟行句会がありましたし、火・木曜日の夜は大阪・神戸の 「かつらぎ」の句会に出席しました。 仕事を怠けることはありませんでした。 人生における苦しみも、作句することによって忘れることができました。 仕事と俳句の、頭の切り替えが大切ですね。

平成14年1月


【16】主宰と俳句 主宰の作品と変化

Q.長い間俳句を作っておられると、理想とされる句にも変化が生じてくることと思います。
初学の頃から、現在に至るまでの先生の句の変化、その契機について、作品を通じてお教え下さい。

A.私は十二歳の時、書店で「ホトトギス」を知って、俳句に興味を持ちました。虚 子先生から水田のぶほという方を紹介していただき、その方の助言により、純客観写 生と言われる高野素十の作品を丸暗記して勉強しました。素十は、物の変化を細かく 捉えて詠む、という作句態度を取っていました。
昭和五二年、第一句集『風の翼』を出版するにあたり、四千五百句の中から阿波野青 畝先生に再選していただき、八百五十句くらいになりました。
その中の三百六十句は物の変化を詠んだものです。

  白砂糖帽子となりし苺食ぶ
  欄干に置く手にひびき瀧落つる
  染卵ちらと画才の見られけり
  外灯をはなれて月の蛾とぞなる
  まばたきてふと白き眼となりし鷲

以上のような傾向の句です。
 第一句集を出版した時、青畝先生から、「細かいことを詠まずに、大きな景色を詠
みなさい」と助言され、それから私の句風も変わりました。自由になんでも詠むこと
が、私の性格に合っていました。

  椰子の実とすすむ日あらん流し雛
  箱庭にほんものの月あがりけり
  音高くくづるる年を惜しみけり
  明日雨といふ碧天の鰯雲
  去年今年南十字の旅に在り

このように、主観が強く作品に表れています。
 現在は、人格の陶冶、すなわち人生観の向上によって、品格のある作品を目標とし ております。虚子先生が、『虚子俳話』の中で、「面白い俳句は沢山あるが、品格の ある俳句は少ない」と述べておられます。品格のある俳句を作るのは難しいことです が、それゆえに精進したい、と願っております。

平成13年12月


【15】初心者の作句態度 人格の陶冶

Q.俳句に限らず、他の文芸、芸術作品を鑑賞することは、自分の美意識を深めることにも繋がり、
大切なことだと思います。先生は、俳句の上達のために、俳句以外のことに専心されたことがおあり
ですか。お教え下さい。

A.作品は作者の人格を反映するものですから、自分の好きな美術や音楽に興味を持つことが大切です。
人格を陶冶しようと常に心掛けるためには、宗教心を忘れないことです。
私は、主宰として、愛と奉仕の心を持って、誌友の皆様に助言してきました。
「ひいらぎ」の誌友は、神様からお預かりした人々だと思い、俳句の指導に当たっております。
人格が陶冶されてくれば、俳句に品格が生じてきます。
多種多様な俳句がある中で、品格のある俳句は少ない、と高浜虚子先生もおっしゃっています。
人格を陶冶するために、俳句に精進する人生でありたく願っております。

平成13年11月


【14】初心者の作句態度 スランプについて

Q.最近、作句の調子が上がらず、なかなか思うような句が作れません。 先生は、スランプを経験されたことがおありでしょうか。 その時はどのように切り抜けられましたか。 お教え下さい。

A.スランプになるのは、精神的、体力的な疲労が原因です。
私自身は、あまりスランプを感じた経験がありませんが、句が作れなくなったら、
茅舎、青畝の句集を繰り返し読みました。
貴方も、私淑する作家の作品を読まれるとよろしいですよ。
俳句を作るには、体力、気力の充実が第一条件です。

平成13年9月


【13】主宰と俳句 初学のころの句会

Q.先生は俳句の初学時代、同年代の方々とどのように切磋琢磨しておられましたか
。 どのような句会、研究会などをされておられましたか。

A. 昭和十八、十九年の初学時代の頃、句会の出席者のうち十代は私のみで、他の方は学校を
卒業して職業を持っておられました。ですから競争を考えた事はありませんでした。
 昭和三十年(二十八才)頃から千原草之さん(三十才)と研究会を作り、毎週月曜日の夜、
二十代の人が集まって勉強しました。
出句数が自由であり、一人十五句以上でした。台風が近づいてきても、会を中止する事はありませんでした。
句会後は、出句自由にて清記し、阿波野青畝先生の選を受けました。この会は昭和五十年頃まで毎週続けられ、
この中から、「かつらぎ」の推薦作家が多数育成されました。若かったので、無理もなく修練できたのです。

平成13年8月


【12】主宰と俳句 初学のころ

Q.先生は初学時代、どのような俳句作家の作品を勉強されましたか。

A.俳句を初めて17歳から22歳までは、高野素十の作品を勉強しました。
素十句集が出版されていなかったので、ホトトギス雑詠全集から素十の入選句を書き集め、
一冊のノートにして殆どの作品を暗記しました。
23歳以後は、川端茅舎の作品に傾倒しました。
茅舎、青畝の作品は、私の作句の指針となっております。

平成13年7月


【11】初心者の作句態度

Q.先生はよく、実感を詠むように、と御指導されます。先生は五十年を越す句歴の中で、
どのように実感をお詠みになってこられましたか。具体的にお教え下さい。

A. 逆説的に聞こえるかもしれませんが、俳句を作る時、実感で捉えようとしたことはありません。
情景をじっと眺めていて、その瞬間の変化(色、音、形など)を発見した時、一句となるのです。 作るのではありませんね。
これとは別に、しばらく心の中に暖めていた情景(気になっておりながら一句とならぬもの)に、
偶然、季題が配合されて一句となる場合もあります。
六十才位までは、好きな季語、対象を十五分程見つめていると、そこに変化を発見し、一句を得ることが
できました。今は少なくとも三十分間見つめていないと、対象が飛びこんできません。しかし以前と比べると、
余分な雑念が早く消えています。より深く物の状態が見える気がします。 若い時は頭が働きすぎ、何でも
一七字にしていました。じっくり物を見る忍耐がなかったのです。
物を眺めて、心の中に案じるには、忍耐が必要ですね。
虚子の言葉に「深は新なり」というのがあります。
これは、自分の感じ方がより深くなることです。毎年同じ季題で作句する時、度々このことを経験します。

平成13年6月


【10】初心者の作句態度 広がりのある句

Q.物をよく観察して作った句でも、字面以上の広がりの無い句だと言われることが あります。広がりのある句とは、どのようなものを言うのでしょうか。

A.句作は、実感と表現の二つの要素から成り立ちます。ある実感を的確に言い当て る表現は一つしかありません。
感動した対象の核心、扇の要を具体的に表現すること が大切です。
その一つの表現があれば、読者は様々な連想を瞬時に広げることが出来、作者の感動 を共有することが出来ます。
以前も省略と絡めてお話しましたが、今回は、詠まれた場所を連想させるような句を、
5月の大阪句会に出された作品を例にあげて説明します。
  噴水を要に百花妍競ふ
  馬券買ふ野球帽はたパナマ帽
  崖落つる滝ありがたき札所かな

第一句目は、下五により、薔薇か何かの多くの花が噴水の回りに咲き誇っているのが 分かりますし、この表現により、美しい庭園の雰囲気が伝わってきます。
第二句目は、馬券売り場に多くの人が押し寄せている様子が、二種類の帽子を描くこ とで伝わってきます。「パナマ帽」を見つけた作者の心の弾みが、場面に勢いを持た せています。
第三句目は、原句の上五は「まっすぐな」だったのですが、このように滝を言わず、 その後ろを表現することで、札所の雰囲気が出ます。
これらの例句のように、表現した対象の周囲の雰囲気まで髣髴とさせるようなもの が、広がりのある句です。このような句を作るには、まず物を感じ、それを表すよう な核心部分を把握することが大切です。

平成13年5月


【9】主宰と俳句

Q.先生は昨年、第三句集『遠慶宿縁』を上梓されました。
今後、どのような俳句をお作りになりたいとお思いですか。

A.実感で詠むことを繰り返すうちに、感覚がより鋭くなると思います。
人間は年を重ねるにしたがって、脳の海馬が衰え、記憶力が低下しますので、考えて作る方法は適しません。
阿波野青畝先生が九十才を過ぎても自由自在に詠まれていたことを知る私は、長生きをして、先生のように自由に
実感を働かせて詠みたく願っております。 

平成13年4月


【8】初心者の作句態度 推敲について

Q.俳句を推敲する時に注意する点を具体的にお教え下さい。

A :一句を作るまでの基本的な道筋を説明します。
まず自分の気に入ったものをよく見ることから始まります。
じっと眺める中で、何かを自分で感じようと工夫することが大切です。
眺めるだけではなく、対象を自分のものにしてしまうのです。
そこで感じたものが、実感です。
推敲は、自分の実感や印象がそのまま伝わるような表現を探す作業です。
注意点を簡単に述べます。
@季語が効いているか。
A具体的に表現されているか。
Bリズムは良いか。
C焦点は一つか。また、句の焦点が強調される位置に置かれているか。
D実感ではなく、説明や報告になっていないか。

@Aの重要性は何度か説明しました。
今回はBCDについて述べます。

B実感は表現だけではなく、句のリズムによっても伝えられます。
  梅林に日のさすときはよく匂ふ
という句は、
  日のさせるとき梅林のよく匂ふ
とすればリズムが良くなります。
まず状況を提示し、一息に「梅林のよく匂ふ」と言うことで、「梅林」が強調されます。

   C俳句は一七字と短いですから、多くを詰め込まないように注意してください。
そのためには、対象を一つに絞ることが大切です。
  うららかや東へ西へ飛行雲
は東、西と焦点が二つに分かれてしまいます。
どちらか一つにして、それを具体的に表現すれば、実感をより強く出すことができます。
また、
  ゆるやかな羽毛の流れ水草生ふ
は「羽毛」が焦点のはずですが、「流れ」が強調される構造になっています。これを
  流れくる白き羽毛や水草生ふ
のように、羽毛が強調されるように推敲します。
「ゆるやか」は言わなくても伝わるのではないでしょうか。

D省略との関わりでお話しします。
省略の効いた俳句には深みが出ますし、読者に連想の余地を与えることにもなります。
  卒業す取れる限りの資格取り
  芽柳の鳥振りほどく疾風かな
などでは、表現したい内容はよく分かりますが、言いたいことを言い尽くしており、
それ以上連想の余地がありません。
これに対し
、   枝垂梅放物線を重ねけり
は省略がよく効いた句です。
「枝」が省略されていますが、読者は季語からの連想の中で十分理解することができます。

推敲の際、考えて感動を作り上げるのではなく、眺めて得た実感を大切にしてください。」

平成13年3月


【7】主宰と俳句

Q1.先生はいつ俳句を始められたのですか。きっかけは何ですか。

A :昭和十六年中学三年生の時です。書店で「ホトトギス」を見ていると、そこの主人から、
高浜虚子が日本で一番偉い俳人であることを教えられました。
虚子先生宛に、巻紙に墨書して、俳句を教えてくださいとお願いの手紙を書きました。
虚子先生からは一枚の葉書の返事が届きました。この一枚の葉書が縁となりました。 私の句に、

一枚の虚子の葉書に忌を修す

というのがあります。

Q2.俳句を続けよう、俳人になろうと思われたきっかけは何ですか。

A :私の母は、与謝野晶子の雑誌「明星」にて短歌を学んでおり、熱心なクリスチャンでした。
神を賛美する詩として俳句を生涯作り続けなさいと言って励ましてくれたことを記憶しております。
 私の人生は俳句を作り続けるために神様が路線を敷かれたものと考えております。俳句を作り続け
ようと努力したのではなく、自然に道を歩んできた思いがします。父は私が牧師となることを願っておりました。
父の希望が形を変えて、俳人として沢山の人を教え育成することになったのです。

平成13年2月


【6】初心者の作句態度 実感を得るために

Q.作句にあたり、対象を実感で捉えることを心がけています。
しかし、実感の句をうまく作れた、と思っても、「実感ではなく、説明になっ ている」というご指摘を受けることがあります。
そのような句を、後から読み直してみると、確かにどこか作為的だったような 気もします。
作句の場で、「実感」を得るためには、具体的にどのような注意が必要でしょ うか。

A:基本的な態度は、以前何度か説明しました。
つまり、興味を持った対象の前に立ち、それをじっと、集中して見つめることで す。
これだけだと、簡単に思えますが、いくつかの注意が必要です。

@対象から自分の中に飛び込んでくるものを捉える。
物を見ながら、色々考えるのは構いません。
しかし、対象を頭の中でいじくりまわして俳句にしてしまうのはいけません。 それでは、理屈の句になってしまいます。
作者の純粋な驚きが伝わってこないどころか、類想句になってしまいがちです。
本当の驚きは、自分で考え出すものではなく、向こうから突如やってくるものです。
気に入った物を三十分ほど見ていると、一瞬何かが動きます。 その驚きが実感です。
それを十七字で表現するのです。
A対象との間合い
句にしようとする対象との距離ですが、これは対象が何であるかにもよりますが、 近すぎても離れすぎてもいけません。
近すぎたら、細々と見てしまいすぎ、驚きというより、説明の句になってしまいます。
また、離れすぎていても、実感を得るだけの正確な把握が困難になります。
大景を描くとなれば話は別ですが、最適な距離は3mくらいでしょう。
昔、虚子先生と吟行した時、彼がじっと立ち止まっておられるのを見ました。
何もなさそうなのに、一体何を見ておられるのだろうと思い、私もその方を 窺っていました。
それは蜘蛛でした。 この蜘蛛で先生は二十句ほどお作りになりました。
これは@にも言えることです。
以上のことに気を付けて吟行に出てください。
実感の句を作るには、対象をじっと見つめる、それ以外に方法はありません。
今年も良い句を作られるよう、願っております。

平成13年1月


【5】初心者の作句態度 地名の入る句について

Q:大きな景色を詠み込みたいと思っています。 紫峡先生の第三句集「遠慶宿縁」ではそのような句も多く、
地名を入れる事がその一因になっているようです。 たとえば、

右吉野左赤目や簗守る
八千草の蓮浄院となりにけり
花の旅甲斐駒ケ岳雪脱がず

などです。
各々の地名の持つ、地理的、歴史的、文学的に特有の雰囲気が利用されているのでしょうか。
大きな景色、地名を詠むとき、どのような事に心掛けたらよいでしょうか。

A:大景を詠むには、その中の一点を具体的に表現して、あとは季語の持つ連想に任せます。
俳句を扇に例えると、その要をうまく捕らえるらえることが大切です。
地名については、ある程度有名でないと、それを知らない人には鑑賞できません。
私の場合、意識的に地名を詠んだのではありません。
たまたまその土地に行って詠みました。
実感で捉えたものが、たまたま地名の入っていた俳句になったのです。
はじめから構成すると、知識が作品に表れてよくないですね。

平成12年12月

【4】初心者の作句態度 吟行句会での作句について

Q:吟行俳句会が各地で開かれていますが、日頃の作句とは別に、どういう点に気をつければよいでしょうか。

A:実感を具体的に詠む、という姿勢はどんな状況であっても変わりません。
ただ、吟行句会の行われる場所には、その土地独自の特色があることが多いですから、それを踏まえた上で、
また、それにそって実感を得ることも大切です。
 例えば、11月19日に、京都府笠置町の笠置山で、笠置もみじまつり俳句大会が開かれました。
山の多い町で、紅葉晴と言うにふさわしい天気でした。そこで入選した句を2句挙げます。

  平伏せる山も紅葉や笠置山

この句は紅葉晴の笠置山の雰囲気をよく捉えています。紅葉を楽しみながら笠置山に登ると、眺めの良い
ところから周囲に山々が見渡せます。それらもまた、紅葉をしているというのです。

  行在所跡の茸の蹴られけり

行在所(あんざいしょ。昔、天皇が都を離れた場所に一時滞在された時の宿泊所)跡に生えている茸に、
作者の目はとまりました。その茸が、行楽に来ている人に蹴られたと言うのです。
茸に視線を投げかけていた作者の、ささやかな驚きが伝わってきます。
この句のように、どんな小さな驚きでも、それが自分の実感である以上、一七字にしていこうとする努力が必要です。

特に初心者の方は、自分の驚き、実感を大切にしてください。
選者の選に入りそうな句を作ろうとしてはいけません。
自分だけが感じ得たことが貴重なのです。

平成12年11月


【3】初心者の作句態度 初学時代の勉強方法

Q:「ひいらぎ」10月号に、紫峡先生が、初学時代、「一季語百句を練磨された」 とあります。 初学時代は、他にどのように勉強したら良いですか。

A:一人で作句することも良いですが、句会に出席して、同じくらいの句歴の人と 競争するのも勉強になります。
考えて作るのではなく、吟行によって実感を詠む訓練をしたいですね。
仲間と吟行に行けば、新しい季語を覚えたり、自分では気づかなかった視点、感動を知ることができます。

平成12年10月


【2】初心者の作句態度 実感と常識について

Q:先生は常々、実感を詠むようにと言われます。本誌ひいらぎの投句集である「ひいらぎ集」にも、
確かに作者本人の実感、感動を詠んだと思われる句が多く並んでいます。
しかし中には、それらの感動があまりに常識的すぎて、新鮮味の感じられない句もあるように思われます。
実感と常識について、詳しく教えてください。どのように俳句を詠めばよいでしょうか

A:実感は意外性にあります。誰にでもよく分かっているのでは説明になります。次の句を見てください。

   へこみたるところ黄色の林檎かな

林檎は赤い、というのは常識です。しかし作者はそれを言わず、「黄色」と言った。
腐りかけて黄色になった一部分を描いたのです。そこに新鮮な驚き、意外性があります。
「へこみたるところ」と具体的に描写してあるので、一読して「林檎」の状況がわかるだけでなく、
作者の実感まで伝わってきます。
実感をいかに具体的に表現するかの技術を勉強してください。作者が実感したことを具体的に表現すれば、
読者も共感してくれます。作者の実感と読者の共感、これらが表現、描写によって一つになります。
描写がいかに大切かということです。常識的では面白くありません。

「ひいらぎ集」の3句欄以下には、このような句を作りなさい、という平均点のような句もあります。
常識を越える句を作るためには、基礎を勉強して、対象を実感で捉える修練を積むことが必要です。

平成12年9月


【1】初心者の作句態度について

Q:どのように俳句を詠めばよいでしょうか

A:作者が実感で捕らえたものを、季語の力を借りて、具体的に表現してください。

Q:「実感」「季語の力」「具体的」三点について、もう少し詳しくお願いします。

A:「実感で捕らえる」とは、ものを見ていて発見したこと、驚いたことを俳句にする、ということです。

特に初心者にとっては、実際に物を見て作ることが作句の第一歩です。興味を引いた素材をじっと見ていて、
ふと感じたものを十七字にまとめるのです。過去の印象を思い出して作るのではなく、物を見て作る態度が大切です。
「季語」についてですが、季語の持つ雰囲気の力を利用して句の連想を広げるのです。季語を勉強するためには、
実際の景物に接するのはもちろんのこと、歳時記を読むことが大切です。
最後に「具体的」について述べます。俳句は短い詩ですので、作者の実感を読者に伝えるためには、具体的に表現する
必要があります。これは技術の問題であり、教わりながら習得していくものです。
「ひいらぎ」では初心者のために私自身が無料添削を行っております。これを利用して私の指導理念を理解し、
俳句の勉強の一助としてください。
以上の作句態度は、高浜虚子、阿波野青畝先生から教わったことです。これは芭蕉以後の俳句に適合する理論だと考えております。

平成12年8月