深は新なり

「深は新なりといふ言葉も、私は用ゐて久しくなってをる。これは碧梧桐が常に新を欲して踏み迷うた感があるのを残念に思つて言つた言葉である。何か新しい事をしやうとして無暗に足を埒外に踏み出すのは危険なことである。それよりも自分の携はつてをる事、研究してをる事に専心して、深く深くと掘り下げて行くことによつて、其処に新しい水脈が発見されて来る、其事が尊いのである。」

(『玉藻』昭和27年12月)